2015年5月25日月曜日

サボリの日々に思った事。


こんにちは。


随分とサボってしまいました。ブログ更新を。
日中の溝にスッポリ嵌ってしまったような日々を送っておりました。

東アジア人として、似ている外見を持っていても、国民性が大きく違う日本人と中国人。
まなじっか似ているので、違いに対して拒否反応を示してしまうのかなあ〜

以前、『人と人との距離感の相違』でも書いたけど、人との距離感。
公と私の間をダブルスタンダードで使い分けるのは、中国は良くあるのだけど。。。
日本は無いかと云うと、私を重点に使い分けているような。。。裏と表のような。
たぶん、日本人って解り難い人達なんだろうな? 外国人からすると。(私もわからん)

太太は中国にいると、日本人だからと云う扱いを受け(当然なのですが)
日本にいると、ちょっとした空気感の違いに『おまえは中国人化しているからな』と
言われること多々。 
これって心理的にはかなり複雑なのです。(中国人に対する偏見が見え隠れするからね)
人は知らず知らずに偏見に陥り差別してしまうのでしょうね。


そんな日々の中、先日お会いした日本人のおじさん(爺爺)との話は面白かったですよ。

若い頃各国を旅したその方は、日中の現状をしっかりと把握なさっていて、
ひとしきり、中国旅の思い出、現在の中国の様子を語りあった後、
『溝の修復は我々の世代(中国、日本の政治家と同じくらい)が牛耳っている内は難しいでしょう。過去に縛られて頭が固いですから』と、先を見据えた話になりました。

頭が柔軟な若い世代に期待しつつ、その世代に従来の偏見を受け継がせないようにせねばいかん。と話をして会話は終わりました。
こんなおじさんが(おばさんも)日中で増えればいいな!と思う方で久々に心が休まりました。

私は次の世代の為に何が出来るのかな?
ちょっとマジに考えている日々でございます。


門は閉鎖的な用途では無く、新たな入り口であるべき?

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