2015年2月16日月曜日

人と人との距離感の相違


こんにちは。


人混みの中、人と人との間の距離感って意識しますよね?
この距離感が日本と中国で大きく違うように思うのです。

例えば中国では、
「ちょっと、こっちに来て」と呼ぶと、異常な程近くに来る人が多いです。
思わず、身体を仰け反って半歩下がると、相手は半歩前へ。

混雑時の乗り物などでは、日本は相手と身体が触れ合うことを極力避けようとし、触れ合った時には「ごめんなさい」と詫びますが、
中国では、身体が触れ合っても無頓着であることが多いです。詫びることもありません。
むしろ、押し返し来ることもしばしば。。。 そしてそれを嫌って身を引けば、更に押して来たりして。


何なのでしょう?この違い。。。

で、私の勝手な推察では、(都市部に限ると思いますが)
日本では個・世間・大衆と3つの関心度範囲があるとすると、
中国では個・一族・大衆ではないのかと。

日本人の世間と云う概念は中国人には無いように思います。
代わりに身内、一族と云う血縁関係を重視し、その他、大衆は注力するに値しない範囲となるようです。 
人口が多すぎて一々気に留めてはいられない、二度と合う確立が低いなどが大衆=無関心にしてしまうのでしょう。
反対に一族の繋がりは強く、「あなたはもう家族のような人だから」は承認言葉。
中国は、個・一族/大衆の間に明快な線を引く。


日本は、/世間・大衆 こんな感じでしょうか?
個が弱く、世間と云う境界線の曖昧なこの集団の影響を受けることが大きい。

日本に居ると、周りを気にしてバランスを取り、時に愛想笑いもし。
少々窮屈。。。
中国に居ると、相手の無神経さに腹立つことが多いけど、自分も気を使わなくて良い気楽さは有り難いこと度々。

世間=最近は空気感
誰かが言っていた、「空気を読もうとしない中国人」
反対に、「空気ばかり気にする日本人」

中間がいいな?







2 件のコメント:

  1. 公=世間でしょうか?
    私はそう思ってます。公の意識が日本人はかなり強いですね(最近の子はずいぶん薄くなりましたが)
    そうなんですよ、公は窮屈なものです。でもそれが、いい方は悪いですが土人と現代人?との違いでしょう。

    >自分も気を使わなくて良い気楽さは有り難いこと度々。

    そう、人間は皆そうなんですよ。でも民度が上がると言うことは、それとは相反することだと思います。特に日本人は真面目だから、窮屈さを欧米人以上に受け入れてるんだろうね(笑)

    多分、だけど・・中国人はこんな窮屈なことは受け入れないんでは、とも思ってます。
    信じるものは一族だけです。これはどうしようもない儒教の影響なんでしょうかね。




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  2. kokuboさん、すみません。実は私は、公、世間、空気など苦手意識があり、あまり理解出来ていないのかも知れません。(中途半端な日本人です)
    >でも民度が上がると言うことは、それとは相反することだと思います。
    その通りですね。バランスでしょうか?
    心地よく共存する為の「公」が窮屈いなるのは受け手の問題なのかな? 
    ム ズ カ シ イ〜

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